Profile
中央大学法学部卒業。大学1年で初めて訪れた海外・フィリピンの心温かい人々から大きな感銘を受け、途上国の可能性に興味を持つ。大学4年次には文科省『トビタテ留学JAPAN』第6期奨学生に選出され、NPO法人『e-Education』の現地責任者でミャンマーに駐在。映像教育を広める傍ら、ミャンマー初のキャリア・進学メディアLive the Dream Co., Ltd.を現地の若者と学生起業し、ユーザー100万人の規模まで成長させ事業売却。その後、株式会社リクルートに新卒入社し『じゃらん』の新規事業であるホテル向けSaaS事業に関わる。その後、ミャンマークーデターを契機に株式会社ASEAN HOUSE(現LivCo)を設立しグローバルHR事業を営む。座右の銘は「失敗しても当たり前、成功したら男前。」
Story
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1994誕生~幼少期
生後1ヶ月で被災するも、順風満帆な幼少期兵庫県西宮市出身。生後1ヶ月で阪神淡路大震災で被災し、その後は大手生命保険会社に勤める父親の転勤で大阪、東京、栃木と引越しを繰り返しました。転校を経験する中で、初見と人とのコミュニケーション能力が鍛えられました。栃木県の小学校ではサッカーに熱中する傍ら、学年で唯一の中学受験を試み、進学校で私立の中高一貫芝学園に合格し成功体験を積み重ねました。
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200814歳~18歳
親の離婚で生活が激変しかし、中学生になると両親が突如離婚。何とか通い続けることはできましたが、母と二人の家庭には金銭的余裕は無く、御坊ちゃまだらけの周りから引け目を感じることが多い日々でした。例えば、学校からの帰り道に皆1個160円のファミチキを買い食いする中、私は母が作ったおにぎりで我慢するなど。野球部でも周りが頻繁にグローブを買い換える中で、私は6年間同じものを使い続けました。女手ひとつで育ててくれた母親を喜ばせるために挑んだ高校野球最後の夏の大会では、レギュラーすら取れず、自分が情けなく感じました。
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201418歳~19歳
東大に2度不合格、失意の中央大学入学家庭的な劣等感に加え、野球でも敗北し、周りから「口だけ野郎」とからかわれるようになりました。そんな周りの人を見返すために、勉強で挽回しようと決意。偏差値35からの東京大学入学を目指し現役・浪人と2度チャレンジしましたが努力むなしく、第8志望の中央大学に進学します。また一つ人生でのコンプレックスが増えてしまう結果になってしまいました。大学入学後も周りへの劣等感が強く、大学やサークルには馴染めず、バイトだけの日々が続きました。
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201520歳~21歳
人生を変えるフィリピンの温かい人々との出逢いそんな大学生活が変わるきっかけになったのはフィリピン留学でした。大学の掲示板で見つけた奨学金プログラムに応募し合格。特に英語や海外に興味はなかったのですが、周りを見返すために、失ったものを取り返すために「まずは一歩踏み出そう」という思いがあったのかもしれません。フィリピンのセブ島へ留学しました。
平日は英語を勉強し、休日はNPOのボランティア活動の一環で炊き出しを行ったり日本語を教えたり。フィリピン人の方と触れ合う中で、彼らがどんなに辛い状況でも常に明るく笑顔で目の前のことに一生懸命に取り組んでいるのと対照的に、彼らより恵まれた環境にいる自分が受験で失敗したくらいで下を向いて生きていていいのかと情けなくなりました。
今振り返ると、フィリピン渡航前は甲子園に出場することや東大に合格するという「名声を得る」ことが自分にとっての成功だったのですが、フィリピン留学以降「明るく楽しく、目の前の人の為に生きる」ことこそが人生における成功なのだと腹落ちしたのだと思います。そして、フィリピン留学を終えて帰国すると周りから「佐々、明るくなったね」と言われるようになりました。フィリピンの人々のおかげで笑い、怒り、涙を流せる人間になりました。
世界の貧困問題を解決したい!しかし、そんなフィリピン人の明るさとは裏腹、貧困状態から抜け出せず日本では死ぬはずのない病気で死んでいく人が数多くいることも学びました。「自分は恵まれた環境にいるのだし、大切なことを教えてくれたフィリピンの方々のためにももっと頑張って貧困問題を解決しなければならない」という勝手な義務感から、国際協力について興味を持つようになりました。「人を見返す」というネガティブなモチベーションが「人の役に立ちたい」というポジティブなモチベーションに変わった瞬間でした。その後は大学の休み期間の度にカンボジアで学校建設をしたり、アフリカなど途上国中心に40カ国以上バックパッカーで周り各国のスラム街を実際に訪れてインタビューしてみたり、貧困層の自立を促し社会問題の解決を目指すマイクロファイナンスに関する論文を書いたりしました。
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201722歳
休学をし、ミャンマーにてNPO現地責任者に!マイクロファイナンスの論文の調査のために訪れたミャンマーにて、また一つ人生を大きく変える出逢いが待っていました。学生ながらNPO法人e-Educationのミャンマー現地駐在員として勤務するポジションのオファーがあったのです。休学をし、トビタテ留学JAPAN6期生として文科省から奨学金を頂きながら現地での勤務を開始しました。 e-Educationは、映像授業を通して途上国の都市と地方の教育格差を埋める活動を行う団体です。ミャンマーでも最貧困地域と言われているチン州に映像授業を届けて現地の大学進学率を上げるべく、現地政府との交渉やカリキュラム開発を担当させていただきました。当時のミャンマーはまだインターネット環境が整っていなかったので、現地スタッフと一緒にUSBに入った映像授業をバスで30時間かけて届けていました。
一転、ミャンマー版リクナビを学生起業しかし、プロジェクトを進める中で学習環境は整ってもモチベーションが上がりきらない学生が多いことに気づきました。自分もかつて未来に希望が持てず学校や部活に行きたくない時期に支えてくれたのは「情報」だったことを思い出しました。インターネットや書籍を通して得られる情報を元に未来に心躍らせ、辛い時期も乗り越えられたのです。軍部の情報統制が続いていたミャンマーではそんな「情報」が圧倒的に足りていませんでした。ミャンマーの学生は「どんな大学があるのか」「大学に進学するメリット」「大学卒業後のキャリア」などへのイメージを持てておらず、それが勉強へのモチベーションにも影響を与えていました。そこで、そのような大学情報やキャリアに関する情報を提供すべきだと考え調べてみたところ、そういった情報を提供しているサイトはすべて英語で、ミャンマーのほんの一部の学生にしか届いていないことが分かりました。そうであれば、ミャンマー語(ビルマ語)のキャリア教育・進学メディアを自分が立ち上げるしかないと決意し現地の若者と共に学生起業に至りました。
勢いで立ち上げた情報メディア“Live the Dream”は様々な苦労がありながらも、著名人の波乱万丈なサクセスストーリーをNHKのプロフェッショナル風のドキュメンタリーにしたコンテンツなどがバズり、一気にユーザー100万人規模にまで成長しました。そこに至るまでには現地従業員にストライキされるなど大変なことは沢山ありましたが、街を歩けば我々が0から作った情報サイトを見て喜んでいる人がいる状況に「自分が世界を少しずつ変えている」という自信になりました。これが家庭・野球・受験と失敗続きだった自分にとっての初めての成功体験となりました。そして、何よりも嬉しかったのは新卒で採用してキャリアアップしていた従業員から「佐々がミャンマーに来てくれたおかげで私はここで稼げて、妹の大学の学費を出してあげることができた」と感謝されたことです。途上国で「雇用を生む」ことこそが、現地の教育・生活水準を上げる一番のサステイナブルな国際協力なのかもしれないと思うようになりました。また、カンボジアでボランティアした際には訪れた地域への限定的な支援に違和感を感じていましたが、メディア起業を通して、ビジネスであれば自分たちの努力次第ではより多くの人にアプローチできるのではないかと可能性を感じました。
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201924歳
もっと大きな事業を創るためにリクルートで修行!日本に戻り、次のステップとして株式会社リクルートに新卒入社しました。ミャンマーでの起業時に感じた「社会によりインパクトを生み出すための稼ぐ力」の欠如を補うべく「社内外を巻き込む営業力」という特化型スキルを身に付けたいと考えB2Bの営業会社として定評のあるリクルートを選びました。
日本に住む外国人労働者の現状を知る帰国後はミャンマーのことが忘れられず東京に住むミャンマー人と接点を持ちました。その時彼らは「もう日本なんて、来るもんじゃない」と愚痴を漏らしていてショックを受けました。日本の職場では差別や無賃残業が横行していたようです。そんな環境に耐えきれず、失踪してしまう外国人労働者の数は、日本全国年間8,000人(2023年)。人手不足の時代でより多くの外国人労働者に来ていただくためには、まずは彼らと日本人の心理的距離を縮め、外国人労働者が暮らしやすく、働きやすい環境を整えることが急務だと実感しました。
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202025歳
副業としてシェアハウス“ASEAN HOUSE”オープン解決策として浮かんだのはミャンマー在住時のシェアハウス生活でした。嫌いになりかけていたミャンマーを再度好きになれたのは心優しいミャンマー人のシェアメイトのおかげでした。今度は日本に住む我々が外国人を快く受け入れて日本を好きになってもらう番だ!そんな想いで、クラウドファンディングで集めた200万円を元手に東南アジア人と日本人が一緒に暮らすシェアハウス「ASEAN HOUSE」を東京都中野区にオープン。これまでに60人以上のシェアメイトが暮らし、700名を超える人々が国際交流イベントに参加しました。
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202126歳
突如起きたミャンマーの悪夢2021年2月1日。悲劇は突然起きました。ミャンマーでクーデターが発生し内戦が勃発。共に起業していた仲間やお世話になっていたミャンマー人は不当に逮捕されたり行方不明になったりしました。立ち上げていた“Live the Dream”は売却を余儀なくされ日系の投資会社のTrust Venture Partners Co., Ltd.に引き継ぎました。多くのミャンマー人が苦しむのを目の当たりにし「どうすれば争いのない世を創ることができるのか?」夜な夜な考え続ける日々が続きました。
もう二度と戦争は繰り返さない。日本にて東南アジアの雇用を創り出す事業を始動【仕事がない → 人が育たず中核人材がいない → 治安が悪化し最悪戦争へ→仕事がない】この負のループが途上国ではよく起きていますがそのループを断ち切るには、やはり雇用を創ることが鍵になります。しかし、東南アジアに仕事はない。であれば、日本に働きにきてもらって東南アジアの方に成長機会を創り出せばいいのではないか?そんな彼らはいつか母国に帰国し、日本で学んだスキル・マインドセットで東南アジアを盛り上げ争いのない世を創っていく。彼らが国の中核人材となり日本の思い出を語る時、私の大好きな故郷、日本のプレゼンス向上にも繋がるはずです。そして、もう一つのキッカケはリクルートでじゃらんの営業担当として担当していたホテル業界のお客様から言われた「佐々君、ミャンマー行ってたならミャンマー人紹介してくれない?人手不足で困っているんだよね」の一言でした。そうか、どっちみち日本には人手が足りないのであれば東南アジアの方に成長機会を創り出しながら日本の最重要課題を解決してもらえればいいではないか!そんな想いで既存のシェアハウス事業を拡大させる形で現在の中核事業である人材マッチング事業を立ち上げ、ASEAN HOUSEを法人化しました。その際にリクルートも退社、起業家として2度目のスタートを切りました。
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202429歳
LivCoに社名変更し業界初の上場へ人材マッチングだけではなく、インドネシアにて人材育成事業や外国人特化の不動産仲介事業など事業の多角化も進め、実態に沿う形で社名を”株式会社LivCo”に変更。社員数も30名を超え事業は急拡大、外国人業界初の上場をマイルストーンに、外国人も暮らしやすい社会の実現に向け邁進しています。
Company
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会社名
株式会社LivCo
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設立
2021年7月
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資本金
5,000,000円
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代表取締役
佐々翔太郎
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事業内容
グローバルHRプラットフォーム事業
外国人向けライフサポート事業
外国人向け不動産事業
外国人向けメディアプラットフォーム事業
インドネシア人材育成事業 -
所在地
東京都新宿区西新宿5-10-4 YSビル